見沼代用水路に広がる田園風景

1727年八代将軍徳川吉宗の新田開発政策により築造。利根川の水を利用して埼玉県の東南部を灌漑するために掘られた用水で、見沼の代わりに造られた水路。

私の幼少時代はドジョウ、めだか、アメリカザリガニ、鮒等が多く住んでいて夏になると泳げました。しかし、徐々に家庭排水が流れ汚染、当たり前の事でした。また段ボールに入った犬猫も良く見かけ、驚いたことは豚の死骸等もながれ血の用水時期もありました。それは屠殺場があり豚や牛を殺害後、血を垂れ流した時期もありました。その後、護岸と路底のコンクリート化して遊歩道も作り、現在では庶民の憩いの散歩コースとして生まれ変わっています。